2015年12月26日土曜日

メリハリ

 メリハリといえば思い浮かべるのが限定解除の一発試験。

 今やハーレーからの圧力で教習所で大型二輪免許を取得できるようになったが、当時は金曜日に免許センターへ出向き一発試験を受験しなきゃならなかった。受験前にまずは事前講習なるものを受けておく必要があった。その事前講習とは大型バイクの取り回しができるかどうか。タンクに砂を詰めて重くしてあるとの噂があったCB750fourのセンタースタンド掛け、転倒状態からの引き起こし、八の字を押してまわるの3項目をクリアする必要があった。この事前講習でさえ1回でクリアできない人がたまにいたそうだが、本番の一発試験の合格平均受験回数はその時何と16回か19回だった。月に4回しかないので、真面目に通っても5ヶ月位はかかる計算。郡部からの受験者は朝早い受験開始のため、免許センター近くに前泊している人もいたほど。

 行きつけのバイク屋仲間3人で挑んだ一発試験。乗車までの待機時間のヘルメットの持ち方も小脇にかかえるといった一発試験仕様。ヘルメットのアゴ部分を握って腕を下げていようものなら減点。姿勢や態度すべてにおいてマイナス要素があれば減点されるとの噂で受験者はしっかり守っていた。
 当時はアメリカンに乗っていたため、一本橋のバランスやスラロームなどの練習のために、後輩からTZR後方排気を借りて夜中駐車場で練習したりしたのを思い出す。
 受験者は自分の番が来ると当時の試験車FZX750に乗車し走行するわけだが、発進するまでに減点が基準を超え試験中止される人もいたような記憶がある。
 試験自体は各セクションを規定の時間以内か規定の時間以上で通過、停止するというもの。ただ、試験官のいる試験塔の下の直線を通過する際にはどこを通ってもいいわけでなく、道幅の左何分の1の所を通過しないとそれも減点されるという噂もあった。
 自分の苦手は一本橋。今では全く問題ないが当時は10秒以上が長く感じた。

 受験後は合格発表までひたすら待機。その間、前の週までに合格した人が買ったばかりのリッターバイクを見せにやってくる場面もあった。
 発表時間が近づくと、受験者控室とは別室の合格者発表の電光掲示板がある部屋へみな移動。時間が来たら横長の電光掲示板の右端から合格者の受験番号が左へと流れていく。
毎回受験者は20人くらいはいたような記憶があるが、掲示板に流れる受験番号は3つほど。ほとんどの受験者はため息をついてリベンジを試みる。しかし、中には20回を超えて受験し続けている人でついには諦める人もいたほど。それくらい、限定解除は高嶺の花であった。もちろん逆の話もあり、一発試験を1回で合格したという伝説的な話も話題に出ていた。
 自分が受験していた頃はコース使用料と受験料で1回2,500円。一緒に行っていた女の子は2回目の受験時、急制動で大転倒するも、何とわずか4回で卒業してしまう。残された男2人は非常に悔しい思いをしたのを覚えている。が、何とか自分も早い方で6回で無事卒業できた。この時の感動は今でも忘れない。掲示板に自分の受験番号が流れてきた瞬間、立ち上がって叫んでしまった。後にも先にも人前で大声出して叫んだのはこの時だけ。
 で、これが当時の免許証の裏面。

 限定解除の思い出話になったが、この一発試験でも通常の走行中もそうだが、コーナリングやブレーキングはアクセルワークや体重移動など「メリハリ」が大事。 開けるところは開ける、緩めるところは緩める。仕事においてもダラダラやるのではなく、そういったメリハリが大事だと感じる今日この頃。

2015年12月25日金曜日

カラオケ

 半ば強制的に加入させられた地区防災会。
 
 水路の工事や清掃などで水路に水がない時に、地区を巡回し「火の用心」と呼びかけるのが主な仕事。その日は待機の番であったが、年配者から腰が痛むので代わりに巡回してくれと頼まれる。
 初対面なのに無茶振りするこの人は何者?と思ったが、不思議と人柄的にすんなり受け入れられた。巡回開始時間までの間、雑談して過ごす中でその年配者が「毎週この公民館でカラオケクラブをやっているので入らないか」との話。飲み会でカラオケを強要された際にも自分がよく使う常套手段「自分は歌じゃなく、バンドの方ですから」を登場させ、サラッとかわせるものと思いきや、先方のツボに思いっきりハマってしまうこととなる。

 不思議なものでその日に防災会で初めて顔を合わせた4人の中でその年配者(Oさん)は御年65歳で現役のギター弾き、もうひとり(Yさん)も昔ギターをやっていて、つい最近、中古でギターを購入し再び弾き始めたとのこと。
 自分もたまたま昨年夏にちょうど10年叩いていないドラムセットを引っ張り出してきて河川敷で叩いてみたところだった。 

 これは20歳の時、神楽坂エクスプロージョンで演奏していたパワーハウスのドラムT師匠宅のセットにて。
 

 話はあれよあれよと進み、Oさんのレパートリー曲を披露するので翌週各自楽器を持って集合することになった。で、つい先日お互いに演奏をお披露目することに。速弾きは見慣れているが50年弾き続けているOさんの十八番の速弾きには65歳という年齢は全く感じられず。
 同年代のYさんも防災会の時のおっさんクサイ服装とは打って変わって、バンドマンらしいGジャンGパン姿でアンプとエフェクタを持参し当時のラウドネスやアースシェイカー、ARBなど懐かしい曲を披露。
 自分はスネアだけの持参だったが30分ほど軽く音合せをしたのち雑談。何と、次はフルセットを持ってきて何曲か演奏してみようということに。さらに話は展開し、来年夏の公民館での発表会や地区のお祭りで演奏しようという話まで出てきた。
 これまでOさんは地区の祭りで単独ギター演奏を披露していたようで、一緒にできる仲間を熱望していたそう。
 そんな中、バンド経験者がたまたま当番で組み合わさってしまったという何とも不思議な縁。自分がつい登場させた常套手段によってここまでの展開をみせることとなったわけだが、みな言わないだけで地区内にも経験者は何人かはいるであろう。
 Oさんには地区内でベーシストを何とか見つけなければ、という新たな野望が生まれることとなった。

2015年12月5日土曜日

隔世遺伝

 薄毛は隔世遺伝するらしい。
 しかも母方のお祖父さんのDNAを受け継ぐそうで、母方のお祖父さんが薄毛なら確実に薄毛になるそうな。

 小学生時代は「横浜銀蝿」に憧れ、デップをサイドにベッタリと塗りつけ固めていた。
 中学生になると外タレに憧れ、ヘヴィメタの長髪はできないので、短髪のトムベイリーカット。もちろん、トムベイリーに倣ってレッドブラウン。
 高校の終わりごろからようやく伸ばし始め、最長で背中の真ん中位まで伸ばしてみた。これは伸ばしている途中、パンクを演奏していた頃のウニ頭。相方はモヒカンで左右に角が伸びる。

 金髪にしたりサイドをカットし耳を出したりと、20歳代中頃まで長髪で過ごしたそんな経歴の髪も、20年経過しすっかりお疲れのようでボリュームはなくなりあの頃の面影は全くない。
 さらに、原付免許を取得して以降、ずっとヘルメットをかぶり続けているためか、前頭部に薄い部分がわずかにはあった。それが年々わずかづつではあるが、広がっていき光の加減では地肌が見えるようになってきていた。

 皮膚科で薄毛の薬を処方してもらえるようだが、「男性機能が弱まる可能性がある」「月6,000円ほどかかる」とのことで、ポピュラーな「リアップX5」を始めて3年ちょい。3年間は高価なため1日2回のところを1回にしていたが、1回ではやらないのと同じという情報も耳にし、4年目に入って2回やるようにはしたがお金がもたない。そこで再び1回に戻したところ急に薄毛が進んだ感じがするが、気のせいなのか?。

 イオンで30日に3本セットで買っているが、これまでに使用した本数はざっと50本、金額にしたら30万円。家族は身内の「ハゲ」隠しより、出費が増えてきた生活費の方が大事という選択で、辞めざるを得ない状況になってきている。在庫は2本。これでリアップも髪も終わってしまうのか…